祈り - 手記「叫び」出版に先立って

神様の予告と計画のもと、精神病の壮絶な死角を経験、社会から打ち捨てられて、手記「叫び」を執筆 / このブログは終了と致します

母の日にガンの告知

母の日から3日間、お母さんの家へ帰っていました。もしも地震が起きたときのために揃えた防災グッズ(ラジオ付きライト、携帯充電器、空気ベッド、携帯トイレ、防寒シートなど)とリュックサック、それと母の日のカーネーションをプレゼント。すごく喜んでいた。

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電話でも話していたが、お母さんは久しぶりに健康診断を受けに行って、腎臓が悪いと言われたらしく、もう塩分を極力省いた食事でないと、食べてはいけないらしい。久しぶりにお好み焼きを食べに行こう、となって商店街のお店へ行っても、お母さんはたこ焼きを頼む際「醤油を本当に薄く塗るだけにして下さい。あとは何もつけなくて良いです」と答えていて、悲しくなった。

こないだまで、高齢のため歯がもう使えず、じゅうぶんに歯医者にも行けないため、大好きだったお菓子や食べたいものが何も食べれないのよ、と言っていて、早く歯の治療を受けさせてやりたい、と願っていたところだったのが、今度は本当に命に関わる問題で、もう永遠に食べれなくなるなんて。



母は私を40歳で産んでから、女手ひとつで私を育ててきて、倒れるまで働いて私を守ってきた。私に貧しい思いをさせるまい、と自分自身のためには一切お金を使わない人だったし、私にばかりお金を使い、美味しいものを食べさせ、母自身はずっと貧しかった。贅沢をしたことなどない。他人の2倍働いているのに、仕事から帰ってもビールも飲まず、ご飯に卵焼きで済ませているのを私は見てきた。

それなのに、これから報われるべきなのに、病気で永遠に味のない食事しか食べれなくなるなんて。主は何か計らいをもって、癒して下さるだろうか。



「腎臓が悪くなるとな、もう治らへんねんて。でな、お姉ちゃんに言うたら、あかんで?」そう言いながら、母は続けた。

「お母さんな、膀胱ガンがあるかも知れんねんて。。で今度大きな検査をして廻りますから、来て下さいって言われたわ」

一瞬、私は唖然となった。まさか、お母さんまで‥

ついこないだ、お姉ちゃんが、難しいと宣告されていた12時間に及ぶガンの大手術を受けて、何とか成功して助かったと思ったら、すぐに再発したところだった。今度は難しいかも知れない、5回は手術を覚悟していたほうがいい、そういう状況だと話していたところだった。

そこへきて、母までがガン。母を失うかも知れない、近いうちに、一気に独りぼっちになるかも知れない、という現実に迫られた。



「もしも万一のことになっても、もうこの歳やし、延命措置はせえへんからな、だから独りになっても、力強く生きていくんやで」母はそう言った。

しかし、一瞬唖然とはしたものの、私は意外なほど冷静に聞き入れていた。そのあとすぐに、野球中継を見だしたし、自分でも分からないほど平然としていた。そんな私の横顔を母はチラチラとうかがって不思議に思っている様子だった。

なぜ自分はこんなに平然としているんだろう。「母も姉もあと5年も寿命がないと思って必死に邁進しなければいけない」という想いがこの頃、事前に用意されていたこともあるだろう。しかし、一番はやはり主への信頼があるからだと思う。それは必ずしも「母や姉が癒されて死なない」という信頼ではない。もっと大きな包括的な信頼だ。主がどのようなみ心を持っておられようと、もっと深い部分での信頼が平安を約束している。



母や姉がこうなったのは、主がそうしたのは、私が手記を書かないことへの見返りだろうか。主からの圧迫だろうか。。どうしてもそういう想いを抱かざるを得ない。どう考えても、主は、私が手記を書いて出版を果たし、その救いと日の目を私が得て、母にもそれを見せてからでないと、母を死なせるということは、しないと思う。

これまでの経緯を振り返ってみると、主の母に対する扱いは、母が実に大きな存在であることを感じさせるものだった。だから、その母が、このまま、私の死角の経験を何も知らず、何の認知もないままに、お別れさせるということを、なさるだろうか。

日の目を見せて、私が何であるか、日の目を見た自分も母に知ってもらい、そして私自身の救いに代えても何としても母を救っていただき、それから召されるはずだと思う。



母のもとを離れて、一人暮らしを始めてから今日まで5年もの間、高齢の母にとっては、あとのない貴重な時間だったのに、なぜ私は手記を書かなかったのか。やりきれない。それだけ、向き合うには多大なエネルギーを要する、重篤な仕事であることは確かだが。。

主よ5年前に時間を巻き戻して下さい。。み心ひとつでおできになります。。何をしていたんだ、この空白の5年間、、必要だったのでしょうか、主よ。

何にしろ、今からこの大量の記録資料を前にして、パソコンを開いて、書いてゆくしかない。もしかしたら、主が、それで母や姉を癒されるのかも知れない。



お母さんが居なくなったら、私はどうなるのだろう。私と同じ年齢の他の人たちなら、家庭を築いて普通にやっていくのだろう。子供帰りしている今の私にはついていけない。親を亡くした子供というのは辛いだろうな。高層ビルから空中に投げ出されているのに、そこで手に掴むべき綱が、永遠に無くなるようなものだ。掴む綱がない状態で、永遠に空中を落ち続けている気持ちだ。

お母さんの前では赤ちゃんのように話してしまうし、抱きついてしまうし、もうすぐ34歳になるという実年齢にはついていけない。自分自身まだ子供、男の子という実感だ。



とにかく、み心を果たすことがすべてだ。それですべてがきっと開かれていく。目の前に置かれている課題をいつまでも先伸ばししていても、結果はこれだ。

必ず母に日の目を見せたい。姉にも見せたい。それが親孝行にもなることは間違いない。