祈り - 手記「叫び」出版に先立って

神様の予告と計画のもと、精神病の壮絶な死角を経験、社会から打ち捨てられて、手記「叫び」を執筆 / このブログは終了と致します

紗栄子さん 熊本地震 被災者への500万円寄付に対する中傷&不謹慎狩りについて考える

タレントの紗栄子さんが熊本地震被災した人達へ寄付をした

紗栄子さんは「私も今できることを。子供達もお小遣い貯金を千円ずつ。家族みんなで寄付させていただきます。家族みんなで祈ります」のコメントを添えて振込受付書の写真を投稿。振込先には熊本県知事の名前があり、振込金額欄には500万円に加えて2人の息子さんが寄付した2000円も含まれています

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しかし、称賛も寄せられる一方で、500万円の寄付を行ったことを証明する明細書を公表したことに対して「偽善と売名の匂いがする」「好感度上げたいんか知らんけど」などと中傷コメントも相次いだ

有名人達の発信する被災地応援コメントに対しても、言葉尻りをとって批判したりする「不謹慎狩り」がされている


彼女を非難することは正しいのだろうか?確かに、振込受付書をアップすることには賛否両論あるだろう。善い行いはひけらかすと嫌らしい。でも公表することで「私も何かしよう」という人が出てくる。それは個人の考え方なんだから、彼女はきっと偽善で寄付したわけではないんだろう

でも、仮にその人が、本当に偽善と売名目的で、好感度を上げたくて寄付をした場合であったとしても、それを非難することは正しいのだろうか?と私は言いたい

なぜなら、偽善と売名目的から出た500万円であったとしても、愛と善意から出た500万円の場合と変わらないパンが、被災者の口に入るわけで、今日食べるものにも切羽詰まっている被災者が事実助かるのは変わらないのだ


聖人が愛と善意で寄付した500万円で被災者が食べることができたご飯は美味しくて温かくて、金持ちが偽善と売名のために寄付した500万円で被災者が食べることができたご飯は冷たくて毒が入っているのだろうか?

いや、ご飯はどちらも温かくて美味しいはずだ。もし金持ちが好感度を上げるために寄付をしなかったら、膨大な数の被災者が、このご飯を食べれなかったのだ

それなのに、みんな被災者のことよりも、しばしば支援する側の精神の審査のほうを問いただす


彼女が500万円寄付をしたことで批判している人たちは、彼女がもしこのたび1円も寄付をしなかったら、もっと批判していたのだろうか?

いや、多分何も話題にならなかったはずだ。しばしばそういうことが起こる。何も良い行動を起こさなかったら何も批判されなかったのに、行動したばかりに非難が生まれる

果たして「500万円寄付をしてそれを公表すること」と「1円も寄付をしないこと」とは、どちらが非難に価するのだろうか?どちらのほうがましなのだろうか?


確かに物事には「たとえ全財産を寄付したとしても、愛がないのなら何の益もない」という場合もある。しかしこのような場合においては、少なくとも1,000円しか善意の寄付ができない私達よりも、金持ちが1,000万円寄付するほうが物理的には資金面で被災者は助かっているのだ

だからむしろ逆に、私達は自分に持ち合わせがないのなら「寄付をすればあなたの評判が上がりますよ」と金持ちを自分からたぶらかしてでも、被災地に寄付金を届けるべきだと思う。そうすることは私達の善意だ


要は、大切なのは、被災者の口に水とパンを届けることであって、大変な思いをしている側からしてみれば、寄付する側の精神性の審査の議論など興味ない(こんな時にしてくれるな)ということだと思うのです

それに「寄付をしたことを公表したらバッシングを受ける」という風潮ができてしまったら、寄付自体をもうしなくなる、そんな偽善者が結構いるとしたら、どうするのか?次から大震災があったとき、あなた(バッシングをしている人)が、寄付が減ったその分を、補ってくれるのか?と問いたい