祈り - 手記「叫び」出版に先立って

神様の予告と計画のもと、精神病の壮絶な死角を経験、社会から打ち捨てられて、手記「叫び」を執筆 / このブログは終了と致します

核やミサイルでの軍事衝突と、ナイフや銃での暴力との感覚の違い - 4月2日の葛藤

金正恩といい、ロシアといい、中国といい、殺戮的な武力で常に威嚇を見せたり、領土なんていうつまらないものを拡げようとして暴力と脅威をちらつかせたり、もう嫌になる

相手が反発すれば、ミサイルでも核でも、たやすく撃ち込めるというのか

なら、日本の麗しい可愛い若い女の子が、一人、金正恩プーチン習近平の前に立たせられたならば、彼らは、彼女をナイフで刺し殺せるというのか?頭を銃殺できるというのか?

ミサイルや核を気分で撃ち込んで、そのような見えない女の子を数百万人、爆撃できるというのは、そういうことではないか!

彼ら自身が出向いて行って、怯える生身の女の子を目にしながら、一人一人刺し殺したり、頭を銃殺したり、首を切り落としたり、それを数百万回、彼自身が繰り返すのと同じではないか

相手が吹っ飛ぶのが自分の目で見えない、自分の手でナイフを握って肉を刺して血を見ないからといって、ミサイルや核で殺せば、何が違うというのか

目の前に震える女の子が一人立っていれば、その潤んだ瞳に見つめられながら、ナイフで刺し殺すことには抵抗があるというのに、ミサイルや核発射の指示を出すことには、まるで我関せず、のような顔をして、何食わぬように指示できるというのか。そしてさらに、殺人罪として裁かれさえしないというのか

一体、目の前に女の子が立っていたら彼らはどう感じるものなのか。私は知りたくて平安がない。彼らには想像力がないのか?冷酷なのか?私と同じような神経が通っていないのか?... 主よ、尊厳を守ってください