祈り - 手記「叫び」出版に先立って

神様の予告と計画のもと、精神病の壮絶な死角を経験、社会から打ち捨てられて、手記「叫び」を執筆 / このブログは終了と致します

お知らせ

ブログへのご訪問&記事をお読みいただいた皆さん、ありがとうございました。

たくさんの方の尊厳と命がかかっている「叫び」の執筆に先立って、預言の意味もかねてこのブログを開設し、書かせていただきました。


ガンと闘う方の闘病ブログなどは、当たり前のようにたくさんの方の注目を浴び、応援コメントもたくさん寄せられます。にも関わらず、精神病と闘い、壮絶な経験、被害にもあって闘っている人が書くブログは、誰も触れようとしません。

手記の出版後、神様の力によって、そんな奇妙で差別的な世の中が少しでも変えられた暁には、おそらくたくさんの方が、私のメッセージに注目し、こちらにもアクセスしていただくことになるかも知れません。


そのときも見据えて、いくつかの記事とこのブログ自体は削除せずに置いておくこととします。そのうえで、このブログの執筆は終了とさせていただきます。

今後は、私の活動と露出が、私自身が過去に傷つけてしまった方の傷を掘り返したりすることのないように配慮し、違う名前にて限られた範囲で、託された活動に邁進してゆきます。


すべて苦しむ人に救いがもたらされますように。
精神病に対する理解が築かれて、社会から死角がなくなりますように。私の道に起こったことがすべての人に知られ、皆さんが神様を知り、神への尊敬を抱くことができますように。


2016/11/16 打ち捨てられた人達の友より

主は先回りされる方。ガンと腎臓病を癒された主。

あれから祈りに祈った。こんなに報われるべき母に対して、主がどうしてこんなにも悪くされるのか葛藤しながら、切に祈った。


「母に日の目を見せれるようにして下さい。経済的な報いを与えられるようにしてあげて下さい。どうか、ガンでないようにして下さい。ガンであれば、転移もなく、末期などではなく、余命など言われませんように。み心を行って下さい。腎臓も癒してあげて下さい。好きなものを食べれるようにしてあげて下さい。母が生きる、治療する決断をしますように、生きる気力を与えて下さい。老後を謳歌できるよう、憐れんで下さい」


手紙を出したあと、ネットで、腎臓病の人のための食品が色々と出ていることも知った。腎臓病と言われてから母は、もう何ヵ月も、好きだったラーメンも、チョコレートも食べれずにいる。けれど神戸に店舗のある薬局に、腎臓病の人のために成分を調整したチョコレートが売ってあることも知って嬉しかった。


腎臓病の人のために、たんぱく質カリウム、塩分を制限して、香辛料などで味付けした食事を冷凍で宅配してくれる業者もたくさんあった。


ラーメンやカレーも別で売ってある業者があった。価格は普通の食品に比べてはるかに高くて、2ヶ月に1度の自分の障がい年金の中から、母にその2ヶ月分を調達してあげるのは厳しく、頭を抱えた。けれど、何とかお金を下さい、と主に祈りながら、入念にベストな計画を母のために立てた。母にこのような不幸が訪れて初めて、私はこんなにも母のために尽くそうとするようになった。それまでは年金も自分のために使っていた。


私はうなだれて、心から主に祈った。「親はいつまでもいない、親孝行できるのは今のうちだ、って、ずっと分かってたのに。主よ。。こうなってしまいました。。もう遅いよね。。今の今になって、もう何も食べれん、旅行にも行けん、連れてっても自由に食事も食べれん、ガンで、糖尿で、切羽詰まってから、慌てて親孝行開始しても、遅いよね、主よ。。ああ、どうか、あがなって下さい。時間を巻き戻してください。み心ひとつでおできになります、主よ。母を幸せにしてあげて下さい。何とかして下さい、癒してあげて下さい。お願いします」


聞いている情報としては、ガンだということは、もう確定的だったが、それでもガンではないようにと祈った。自分が付き添うようにと、予定が調整されたのは、何か主の側で計らいがあるのだろう、と感じていた。


梅田で人と会ったあと、母の家へ行った。夜はほぼ寝れなかった。バス停で姉と合流して、3人で病院へ行った。母と姉と話す時以外、私は油断せずずっと、こまめにボソボソと祈った。新しい病院で、木とガラスを組み合わせていたり、美術館か、ファンキーに言えばスタバと言ってもおかしくない、お洒落な内観だった。


尿を採ったり色々な検査をしたあと、いよいよ診察の順番が来た。電子ボードにナンバーの表示が出て、3人で診察室に入った。レントゲン写真と、カメラの体内写真、数値表、膀胱ガンでの紹介状、をデスクに広げた女性の医師が結果を告げた。


「色々な検査をさせてもらって、すべて見させてもらったんですが、現状特に何も異常は見られませんでした。恐らく膀胱炎が治ったあとの状態だと、見受けられます。ただここに良性の腫瘍がひとつ見られました。悪性の腫瘍、ガンはありません。」


そこには、ガンではないピンク色の害のない腫瘍が写っていた。母は追加で腎臓の検査も続けて受けることとなり、姉と私は診察室を出た。


母が、追加検査と、検査の結果を中で再び聴いている間、隣で私が再びずっと神に対して祈っているのを、姉は恐らく認識している。だから、私は主にこう申し上げた。「主よ、人に良いと思える結果ばかり叶えるのが、あなたのみ心とは限りません。しかし、私があなたに祈っているのを、不信者である姉が見ています。なので、私の祈りが報われないのを彼女などが見て、あなたと、あなたの聖徒が、暗に蔑まれないようにして下さい。あなたの名のために、お願いします。み名が崇められるようにして下さい。姉も癒してあげて下さい。」


母が診察室から出てきた。ちょっとお、という素振りで手を振り下ろしながら、姉にこう言った。「腎臓も大丈夫なんやって!このくらいやったら。どうもないんやて。何でクリニックで、腎臓病やって言われたんやろう。あんなただ事じゃないよって、早く検査行かなって言うくらい、言われたのになあ。」


私は確認した。「腎臓もどうもないって?」「うん!」目を見開いた嬉しそうな母が答えた。「じゃあ、何でも食べて大丈夫なん?」「そう!」母が可笑しそうに笑った。私は向き直って、主に感謝した。


主は本当に、時間を巻き戻してくれた。親孝行が間に合わなくなるのを、先回りしてリハーサルを作って防いで下さった。このリハーサルが与えられなかったら、本当にその時が訪れてしまうまで、本気で後悔のない親孝行を準備しなかっただろう。


主に感謝したい。助かったからといって「じゃあまだまだ手抜きでいいや」ではなくて、忠実に、この教訓を生かして、いつ別れが訪れても最良の別れとできるだけの不断の努力を今日からしてゆきたい。


帰宅してから母は、数ヵ月ぶりに、板チョコや、パナップのマンゴー味を食べた。回転寿司を姉と私に奢った。高いお金を出して、たんぱく制限食品を注文するところやったわ、と笑いあった。「もう死ぬと思ってたのに、何ともないなんて、遺憾の意を表明するわ」と私に言われて笑った。


ただ、尿から、体全体に異常がないかを調べる大きな検査もできるらしく、それを最後にしてもらうとのことで、1週間後に結果を聴きに行く。油断はできない。最後に傷つけられることになって、ひとりで傷を抱えないよう、また付き添うつもりだ。そんなことにならないように、祈りを緩めないようにしないとなあ。

親孝行できる日は戻ってこない

先週末、母にSMSを送った。「検査いつー?ガンかも知れんのやったら、出来るだけ早くせな、あかんのちゃうん?」


母からは「ガンなのは分かってるけど、まだ迷ってる」と返ってきた。「何を?」と返すと、電話が鳴った。


電話を切った私は呆然としていた。涙を浮かべて主に祈った。自分が嫌。「人生をもっと楽しみたい、明日という日を、1日でも、もっと多く欲しい」と親に思わせてあげられない、早いとこ切り上げたいと願わせている自分が。


寂しい。ガンをきっかけに、もう検査も治療もしたくない、進んで死にたい、生きるのがしんどいと、思わせているなんて。


検査と治療を受けるか、このままにしておくか、来週返事をするわ、と言われた。
母の気持ちを尊重せざるを得ないし。ここまで自分のために尽くして生きてこさせて、ことさら、今から、もう生きるのがしんどいと言っているのに、私のために生きてくれと我が儘を言って、生きさせることもできない。どこかが掻きむしられる想いだ。


…主よ、幸せにしてあげてください。「もっと生きていたい、楽しみたい」と思える人生を、若さを、母に返してあげてください。


母は小さいときから貧しくて、どこかに遊びに連れていってもらったこともなく、美味しいものも食べれず、大人になっても、贅沢をせず、自分が辛い思いをしてきた分、この子にはそんな思いをさせまいと、すべて私に尽くして、遊びに連れていき、美味しいものを食べさせ、自分は一貫して働き詰めて、安いパートで倒れるまで働き、いない父親の役割までこなし、貧しいまま生きてきたじゃないですか。


それを、年老いた今から報われるべきなのに、腎臓病で味気ないものしか食べれなくなり、かつ糖尿病で、さらにはガンにされるというのですか?あんまりではないですか。どうして、母にそんなに悪くされるのですか。


…母亡きあとの慰めなんかいりません。母との間の慰めをください。母との間の幸せをください。母に日の目を見せることができるようにしてください。そして母を救ってください。この2つだけは、僕の救いに変えても、何に変えても、お願い致します。でないと、僕の人生において、あなたを我が神として呼ばわることができません。


今まで、依存症になって、自分の服ばかり買って、母には2ヶ月に1度の自由になる年金もなく、楽しみもなく、美味しいものも食べれず、薄暗い部屋でただ毎日を佇むだけの暮らしをさせてきた。これ以上生きてたってしゃあない、って思うよなあ。。5年も6年も酷いことをしてきた。。ああ、こんなクズを許してください主よ。時間を取り戻すことはできません。憐れんでください。み名を崇めさせて下さい。


寝ようと横たわってからも、熱い涙が込み上げてきて、嗚咽しながら祈った。母亡きあと、今後どんな成功を収めようとも、誰にどんな愛をたむけようとも、母を幸せにできずに生きることを切り上げさせて逝かせてしまったら、失格やんか。。息子として、人間として。今後の人生で何を成し遂げようとも、何にもならない。母を幸せにできんかったら、死なしてしまったら、失敗やん。もう。自分は。


…私の知っているあのイエス様、母のために帰ってきて下さい。私に永遠に臨まれないのだとしても、母は関係ないじゃないですか、可哀想じゃないですか、私のために。母のために、主よ帰ってきて下さい。母が、あなたを知らずに死ぬことの無いようにしてください。

主よ、もう一度私の神になってください。み名を崇めさせて下さい。


そう祈った。母から決断の連絡が来る前に届くよう、手紙を書いた。自分の素直な気持ち。母がどんな選択をしようとも、今後は楽しいと思える毎日を2人で作っていきたいということ。それに母は何も知らないが私が打ち捨てられている立場であることと、日の目を見て使命を果たすために手記を書かなければならない務めがあること。自分の救いが撤回されて代わりに地獄へ堕ちることになったとしても、母に救われて欲しいということ。


昨日母が電話してきた。明日の朝から、姉の手術をした病院で検査をしてもらうらしい。朝早くバスに乗るから、来るなら今日の夜に来とかなくちゃダメよ、だそうだ。お金が底をついて今日まで交通費も無かったのだけど、数日前の手配で、急遽今日の入金を確保できていたことや、母の家までの途中の大阪駅まで人と会いに行く用事が今日の夜に作られていたことも、主の備えられたことではなかろうか。


母は、多分今回のは大したことではないと思うねん、と言っていた。主のみ心が行われますように。



今日はサミットに際して、東京でも大阪でも、忌まわしいテロが起こされないよう、祈っています。また、刺されて3日以上意識不明になっている富田真由さんのために祈っています。


前から背中から20ヶ所以上も刺されて、助かるのは主による奇跡を願うことですが、何としても、この子が亡くなって犯人の男が留置所で達成感に酔いしれ、薄ら笑いながらガッツポーズをすることが無いように祈っています。女の子を20ヶ所以上もメッタ刺しにしておきながら、警察の車内で満足げな顔をしていたあの男に、獄中であの子の回復した笑顔を見せつけてやりたい‥。

母の日にガンの告知

母の日から3日間、お母さんの家へ帰っていました。もしも地震が起きたときのために揃えた防災グッズ(ラジオ付きライト、携帯充電器、空気ベッド、携帯トイレ、防寒シートなど)とリュックサック、それと母の日のカーネーションをプレゼント。すごく喜んでいた。

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電話でも話していたが、お母さんは久しぶりに健康診断を受けに行って、腎臓が悪いと言われたらしく、もう塩分を極力省いた食事でないと、食べてはいけないらしい。久しぶりにお好み焼きを食べに行こう、となって商店街のお店へ行っても、お母さんはたこ焼きを頼む際「醤油を本当に薄く塗るだけにして下さい。あとは何もつけなくて良いです」と答えていて、悲しくなった。

こないだまで、高齢のため歯がもう使えず、じゅうぶんに歯医者にも行けないため、大好きだったお菓子や食べたいものが何も食べれないのよ、と言っていて、早く歯の治療を受けさせてやりたい、と願っていたところだったのが、今度は本当に命に関わる問題で、もう永遠に食べれなくなるなんて。



母は私を40歳で産んでから、女手ひとつで私を育ててきて、倒れるまで働いて私を守ってきた。私に貧しい思いをさせるまい、と自分自身のためには一切お金を使わない人だったし、私にばかりお金を使い、美味しいものを食べさせ、母自身はずっと貧しかった。贅沢をしたことなどない。他人の2倍働いているのに、仕事から帰ってもビールも飲まず、ご飯に卵焼きで済ませているのを私は見てきた。

それなのに、これから報われるべきなのに、病気で永遠に味のない食事しか食べれなくなるなんて。主は何か計らいをもって、癒して下さるだろうか。



「腎臓が悪くなるとな、もう治らへんねんて。でな、お姉ちゃんに言うたら、あかんで?」そう言いながら、母は続けた。

「お母さんな、膀胱ガンがあるかも知れんねんて。。で今度大きな検査をして廻りますから、来て下さいって言われたわ」

一瞬、私は唖然となった。まさか、お母さんまで‥

ついこないだ、お姉ちゃんが、難しいと宣告されていた12時間に及ぶガンの大手術を受けて、何とか成功して助かったと思ったら、すぐに再発したところだった。今度は難しいかも知れない、5回は手術を覚悟していたほうがいい、そういう状況だと話していたところだった。

そこへきて、母までがガン。母を失うかも知れない、近いうちに、一気に独りぼっちになるかも知れない、という現実に迫られた。



「もしも万一のことになっても、もうこの歳やし、延命措置はせえへんからな、だから独りになっても、力強く生きていくんやで」母はそう言った。

しかし、一瞬唖然とはしたものの、私は意外なほど冷静に聞き入れていた。そのあとすぐに、野球中継を見だしたし、自分でも分からないほど平然としていた。そんな私の横顔を母はチラチラとうかがって不思議に思っている様子だった。

なぜ自分はこんなに平然としているんだろう。「母も姉もあと5年も寿命がないと思って必死に邁進しなければいけない」という想いがこの頃、事前に用意されていたこともあるだろう。しかし、一番はやはり主への信頼があるからだと思う。それは必ずしも「母や姉が癒されて死なない」という信頼ではない。もっと大きな包括的な信頼だ。主がどのようなみ心を持っておられようと、もっと深い部分での信頼が平安を約束している。



母や姉がこうなったのは、主がそうしたのは、私が手記を書かないことへの見返りだろうか。主からの圧迫だろうか。。どうしてもそういう想いを抱かざるを得ない。どう考えても、主は、私が手記を書いて出版を果たし、その救いと日の目を私が得て、母にもそれを見せてからでないと、母を死なせるということは、しないと思う。

これまでの経緯を振り返ってみると、主の母に対する扱いは、母が実に大きな存在であることを感じさせるものだった。だから、その母が、このまま、私の死角の経験を何も知らず、何の認知もないままに、お別れさせるということを、なさるだろうか。

日の目を見せて、私が何であるか、日の目を見た自分も母に知ってもらい、そして私自身の救いに代えても何としても母を救っていただき、それから召されるはずだと思う。



母のもとを離れて、一人暮らしを始めてから今日まで5年もの間、高齢の母にとっては、あとのない貴重な時間だったのに、なぜ私は手記を書かなかったのか。やりきれない。それだけ、向き合うには多大なエネルギーを要する、重篤な仕事であることは確かだが。。

主よ5年前に時間を巻き戻して下さい。。み心ひとつでおできになります。。何をしていたんだ、この空白の5年間、、必要だったのでしょうか、主よ。

何にしろ、今からこの大量の記録資料を前にして、パソコンを開いて、書いてゆくしかない。もしかしたら、主が、それで母や姉を癒されるのかも知れない。



お母さんが居なくなったら、私はどうなるのだろう。私と同じ年齢の他の人たちなら、家庭を築いて普通にやっていくのだろう。子供帰りしている今の私にはついていけない。親を亡くした子供というのは辛いだろうな。高層ビルから空中に投げ出されているのに、そこで手に掴むべき綱が、永遠に無くなるようなものだ。掴む綱がない状態で、永遠に空中を落ち続けている気持ちだ。

お母さんの前では赤ちゃんのように話してしまうし、抱きついてしまうし、もうすぐ34歳になるという実年齢にはついていけない。自分自身まだ子供、男の子という実感だ。



とにかく、み心を果たすことがすべてだ。それですべてがきっと開かれていく。目の前に置かれている課題をいつまでも先伸ばししていても、結果はこれだ。

必ず母に日の目を見せたい。姉にも見せたい。それが親孝行にもなることは間違いない。

紗栄子さん 熊本地震 被災者への500万円寄付に対する中傷&不謹慎狩りについて考える

タレントの紗栄子さんが熊本地震被災した人達へ寄付をした

紗栄子さんは「私も今できることを。子供達もお小遣い貯金を千円ずつ。家族みんなで寄付させていただきます。家族みんなで祈ります」のコメントを添えて振込受付書の写真を投稿。振込先には熊本県知事の名前があり、振込金額欄には500万円に加えて2人の息子さんが寄付した2000円も含まれています

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しかし、称賛も寄せられる一方で、500万円の寄付を行ったことを証明する明細書を公表したことに対して「偽善と売名の匂いがする」「好感度上げたいんか知らんけど」などと中傷コメントも相次いだ

有名人達の発信する被災地応援コメントに対しても、言葉尻りをとって批判したりする「不謹慎狩り」がされている


彼女を非難することは正しいのだろうか?確かに、振込受付書をアップすることには賛否両論あるだろう。善い行いはひけらかすと嫌らしい。でも公表することで「私も何かしよう」という人が出てくる。それは個人の考え方なんだから、彼女はきっと偽善で寄付したわけではないんだろう

でも、仮にその人が、本当に偽善と売名目的で、好感度を上げたくて寄付をした場合であったとしても、それを非難することは正しいのだろうか?と私は言いたい

なぜなら、偽善と売名目的から出た500万円であったとしても、愛と善意から出た500万円の場合と変わらないパンが、被災者の口に入るわけで、今日食べるものにも切羽詰まっている被災者が事実助かるのは変わらないのだ


聖人が愛と善意で寄付した500万円で被災者が食べることができたご飯は美味しくて温かくて、金持ちが偽善と売名のために寄付した500万円で被災者が食べることができたご飯は冷たくて毒が入っているのだろうか?

いや、ご飯はどちらも温かくて美味しいはずだ。もし金持ちが好感度を上げるために寄付をしなかったら、膨大な数の被災者が、このご飯を食べれなかったのだ

それなのに、みんな被災者のことよりも、しばしば支援する側の精神の審査のほうを問いただす


彼女が500万円寄付をしたことで批判している人たちは、彼女がもしこのたび1円も寄付をしなかったら、もっと批判していたのだろうか?

いや、多分何も話題にならなかったはずだ。しばしばそういうことが起こる。何も良い行動を起こさなかったら何も批判されなかったのに、行動したばかりに非難が生まれる

果たして「500万円寄付をしてそれを公表すること」と「1円も寄付をしないこと」とは、どちらが非難に価するのだろうか?どちらのほうがましなのだろうか?


確かに物事には「たとえ全財産を寄付したとしても、愛がないのなら何の益もない」という場合もある。しかしこのような場合においては、少なくとも1,000円しか善意の寄付ができない私達よりも、金持ちが1,000万円寄付するほうが物理的には資金面で被災者は助かっているのだ

だからむしろ逆に、私達は自分に持ち合わせがないのなら「寄付をすればあなたの評判が上がりますよ」と金持ちを自分からたぶらかしてでも、被災地に寄付金を届けるべきだと思う。そうすることは私達の善意だ


要は、大切なのは、被災者の口に水とパンを届けることであって、大変な思いをしている側からしてみれば、寄付する側の精神性の審査の議論など興味ない(こんな時にしてくれるな)ということだと思うのです

それに「寄付をしたことを公表したらバッシングを受ける」という風潮ができてしまったら、寄付自体をもうしなくなる、そんな偽善者が結構いるとしたら、どうするのか?次から大震災があったとき、あなた(バッシングをしている人)が、寄付が減ったその分を、補ってくれるのか?と問いたい

アメリカ高官&ケリー長官「原爆投下は謝罪しない」

広島と長崎に原爆が投下されてから70年が経っている。

主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)の最初の事前会合となる主要7カ国(G7)外相会合が10日、広島市で始まった。これに合わせ、ケリー米国務長官ら核保有国の米英仏を含む外相らは11日午前、平和記念公園を訪れ、原爆資料館を見学し原爆慰霊碑に献花した。

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ケリー長官は各国外相らと共に、被爆者の焼け焦げた衣服などが展示されている平和記念資料館を訪問。その後、原爆死没者慰霊碑に献花した。

ただ、被爆地訪問に先立ちケリー長官は10日、岸田外相との会談で「今回の訪問は、過去についてのものではない。現在と未来のためだ」と日本人の感情を逆撫でするようなことをわざわざ語った。

一方、ケリー長官に同行している国務省高官は同日夜、第2次世界大戦中に約14万人が犠牲となった米軍による広島への原爆投下についてケリー長官が公式に謝罪することはないと発言。「国務長官の広島訪問は謝罪のためかと聞かれれば、答えは『ノー』だ」と記者団に述べた。

アメリカがこのような人間のクズであり続ける限りは、彼らはこれからも核を投下するであろうし、世界の悪の中枢であるテロリストと何ら変りない。彼らには核や武器を持つ資格はないし、平和を語る資格はない。

このようなケリー国務長官に対して日本の岸田外務大臣も、何食わぬような顔をして握手をしたり食事会に参加させる必要はない。帰らせるべきだ。このような者に献花をさせることは犠牲者への冒涜になる。過去についての訪問が済んでいないにも関わらず、現在と未来のための段階へ進むことなど不可能なのだから、その時点で「それなら帰れ」と言うべきだ。

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何年か前、原爆投下のスイッチを押した人物が、それ以来初めて日本を訪問し、広島の土を踏んだ。彼を迎える広島の人たちは、当然彼について「これまで恐ろしいほどの自責の念に苛まれてきたのだろう、辛かっただろう、広島を訪れるにあたってはものすごい恐怖感や罪悪感を感じながら来ていることだろう」と予想していた。それで、広島の人たちも「もういいのですよ」と言うように、朗らかに彼を迎えた。

しかし、最近別の番組で、彼が、私たちが予想したような感覚ではなかったことを知った。彼は、被爆した人たちがどうなったか、その写真を見て回り、説明を受け「どれもこれも、ひどい話だ」としながらも「それでも私は絶対に謝らない」と言っていたという。そういう意識で、彼が、犠牲者の眠る土を踏んだこと、広島の人たちが朗らかに彼をもてなしたことが、私は悔しい。

長崎に原爆を投下した直後からアメリカは、100名の「原爆が人体にどのような影響を与えるのか」を、核戦争に備えて調べるための研究チームを長崎に送り込み、治療は一切行わず、焼けただれた子供たちの皮膚の研究などを行った。そのチームの報告書には、はっきりと「長崎は原爆実験の研究室」と記されている。

戦争ではなく、実験のために落とされたのだ。

それを、アメリカの半数以上の国民は、今もなお「原爆投下は悪ではなかった。戦争を早く終わらせた正義であって、投下した人たちは英雄」であると思っているし、そのような教育がなされている。

日本の総理がアメリカの議会などで演説する機会が何度もあったというのに、戦争を始めた謝罪だけを行い、1度もそのことを咎めないのが、私は恥ずかしい。国民をあげて、核実験で殺戮を行ったことを正義だったと思っているような国に、核を持っていられる資格はない。

東京裁判で、戦争に勝利した国から選ばれた裁判官たちに日本の戦犯だけが裁かれたのであれば、今、その続きを行い、アメリカの戦犯も取り締まるべきだ。東京大空襲を行い、一夜にして無差別に10万人を殺戮した兵士たちは「俺たち、もし戦争に負けたら、戦犯として裁かれるよな」と会話していたそうだ。そして、絶対に戦争に負けないように、徹底的に殺戮に力を入れた。

戦争に勝てば、人からは裁かれないかもしれない。しかし、人には一度死ぬことと、死後に裁きを受けることとが定められている。最も恐ろしいことは、生きている神の手に陥ることだ。何でも、神などどうせいない、と心で思うところに、悪が生まれる。本当は「こんなことは絶対に起こってはならないはずだ」と感じる心の種が自分の心に与えられているのを感じて、それを自らの心に植え付けた神の存在を、察知すべきであるのに。

踏みにじられた尊厳は、必ず、踏みにじった者の頭上に返される。

核やミサイルでの軍事衝突と、ナイフや銃での暴力との感覚の違い - 4月2日の葛藤

金正恩といい、ロシアといい、中国といい、殺戮的な武力で常に威嚇を見せたり、領土なんていうつまらないものを拡げようとして暴力と脅威をちらつかせたり、もう嫌になる

相手が反発すれば、ミサイルでも核でも、たやすく撃ち込めるというのか

なら、日本の麗しい可愛い若い女の子が、一人、金正恩プーチン習近平の前に立たせられたならば、彼らは、彼女をナイフで刺し殺せるというのか?頭を銃殺できるというのか?

ミサイルや核を気分で撃ち込んで、そのような見えない女の子を数百万人、爆撃できるというのは、そういうことではないか!

彼ら自身が出向いて行って、怯える生身の女の子を目にしながら、一人一人刺し殺したり、頭を銃殺したり、首を切り落としたり、それを数百万回、彼自身が繰り返すのと同じではないか

相手が吹っ飛ぶのが自分の目で見えない、自分の手でナイフを握って肉を刺して血を見ないからといって、ミサイルや核で殺せば、何が違うというのか

目の前に震える女の子が一人立っていれば、その潤んだ瞳に見つめられながら、ナイフで刺し殺すことには抵抗があるというのに、ミサイルや核発射の指示を出すことには、まるで我関せず、のような顔をして、何食わぬように指示できるというのか。そしてさらに、殺人罪として裁かれさえしないというのか

一体、目の前に女の子が立っていたら彼らはどう感じるものなのか。私は知りたくて平安がない。彼らには想像力がないのか?冷酷なのか?私と同じような神経が通っていないのか?... 主よ、尊厳を守ってください